昭和の話

今日は昭和について書きたいと思います。

 

私は1960年代に生まれた昭和にどっぷりの世代です。

まだ還暦前ですが、今の若い方から見れば古い世代ですね。

 

しかし、古いものが良くないとは限りません。

温故知新という言葉があるように、古き良き昭和の思い出があります。

 

昭和について語るなら、ここでは書ききれないほどたくさんの思いがあります。

さっきまで昭和の頃、幼かった頃のことについて考えていたので、今日のブログのテーマは昭和について書こうと考えました。

 

多くの思い出がありますが、中でも心に残っているのは、毎日銭湯に通っていたことでしょうか。

 

今の若い方には不便極まりないと思われそうですが、私は昭和50年前後まで銭湯通いの生活をしていました。

 

ほぼ毎日、銭湯に通っていたのですが、時間を巻き戻すと母は私を妊娠中、大きなお腹を抱えてどうしていたのかと考えてしまいます。

私は生まれる前から銭湯通いをしていた訳です。

 

これは私の想像ですが、大きなお腹を抱えた母は、銭湯でも周りの方に助けられていたのではないでしょうか。

助け合いと人情ですね。

 

当時、30歳前後だった母を助けてくれたのは、母より年上のご婦人たちだったことでしょう。

例えば、今の私と同じくらいの年齢のご婦人だったとすると50歳を過ぎた方であり、1960年代に50歳を過ぎていた方は1910年前後の生まれだと考えられます。

現代では100歳を超えるような方々が、毎日毎日、銭湯に通い変わることのない日常を暮らしていたのでしょうが、ほとんどの方は既に鬼籍に入られたことでしょう。

 

変わらないと思っていた日常は必ず過去になり、どんな人間も寿命を迎え消えていきます。

 

こうして昭和も終わり、令和の世の中になりましたが、いつかは令和の時代も過去になります。

 

変わることがないのは、人の心の中にある思い出と懐かしむ気持ちす。

 

思い出と懐かしさ。

私の心の中にはこれらが多すぎて、書ききれません。

 

銭湯以外には、モノクロのテレビでしょうか。

現代のようにネットやスマホがない時代、娯楽の中心はテレビでした。

 

私が物心つく頃には家にテレビがありましたが、モノクロのテレビでしたね。

毎日、大好きなアニメや特撮ものを楽しみにしていたものでした。

 

ところで、ある若い方が実に興味深いことを呟いているのを見かけたことがありました。

現代は物事が複雑になり過ぎ、何が何やらわからなくなりそうなので、原始時代並みにシンプルに戻してもよいのではないか。

大体こんな感じの内容だったと記憶していますが、大いに共感できました。

 

そうなんですよね。現代は便利になったぶん、複雑になり過ぎて結局のところ何が行われているのか、わからなくなってしまう。

SNSが発達し、リアルな世界では知り合うことが難しい相手とも容易に繋がることができるようになりました。

 

これは両刃の剣であり、同じ思いを共有できる相手と繋がれる反面、合わない相手とトラブルにならないまでも、不快な思いをさせられる面もあります。

 

昭和の時代は個人が情報を発信する手段は限られていましたが、娯楽もテレビや映画、雑誌、ラジオくらいしかなくのんびりしていました。

 

銭湯での温かい人情、限られていてものんびり楽しめる娯楽。

昭和の頃は現代より時間がゆっくり流れていました。

子どもの頃に過ごした環境が、その人の基盤を形成するように、昭和の頃のゆっくりしていた時代の生活が私の基礎を作っています。

 

ネットがあり、スマホがあり、エンターテイメントでは配信があったり。

便利なテクノロジーが登場し、世界は広がったようですが、人間自体がそう変わるとは思えません。

 

昭和の時代に生まれ、現代よりゆったりしていた頃に育った私は、もっとのんびり過ごしても良いのではないかと考えます。

スピードを増す進歩に人間がついて来れなくなっているのではないでしょうか。

 

今よりは選択肢がないような昭和の時代にこそ、寧ろ現代にない豊かさがあったようにも思えるのです。