今日は春分の日です

今日は春分の日

この日を境に昼間の時間が少しずつ長くなり、明るくなっていきます。

そんな季節の変わり目に思うことを書いてみようと思います。

 

個人的には4月が誕生日なので、春になるとまた一つ年を重ねるという思いがあります。

今、50代なので、少しずつ60代に向かっていく道程において思うことはありますね。

 

今年に入ってから診断された自閉症スペクトラム障害を抱えて、どう生きていくべきか。

一番の関心事はそれです。

 

何か特別なことはないのですが、離婚して一人の私はこれからも一人で生きていく予定なので、どんな仕事に就けばよいかが最大の関心事です。

 

でも、できないことを無理にやるつもりはありません。

今まで障害に気付かず、さんざん無理をして生きてきたので、そういう生き方はもう止めようと思っています。

 

障害をあるがままに受け入れ、ますます自分らしく生きていく。

そんなことを考える、今年の春分の日です。

 

春分の日、今年は3月20日ですが、この時期は人生の分岐点を迎える時期でもあります。

 

卒業、入学、就職などですね。

 

思い出すことはたくさんありますが、元夫と結婚したのもこの時期でした。

3月20日前後なら、周囲の親類縁者に私たちの結婚を発表し、気持ちの上でも実際の生活をする上でも、新しくスタートした時期でした。

 

私と元夫の結婚生活のスタートは結婚式は挙げず、周囲の親類に二人で共に暮らすことを報告しただけで済ませました。

その当時は携帯電話はまだない時代だったので、テレホンカードを親類に送り、結婚を報告しましたね。

 

その後すぐに、専業主婦になった私はスポーツクラブに通い、若い頃夢中になったエアロビクスにのめり込んでいきました。

 

元夫は、全面的に私を支えてくれました。

摂食障害があり、体力が落ちた私が仕事を続けているのを見かねて、結婚したら仕事は辞めてもよいと助け舟を出してくれたり、治療にも協力してくれたので今の私があると言っても過言ではないくらいです。

 

それでも、元夫と言っているくらいですから、今は離婚して一人です。

離婚して二人で暮らした家を出てきたのも春でした。

 

離婚は正しい判断だったのか今でも考えますが、間違った判断ではなかったと思っています。

 

離婚の原因の一つは、元夫の母、私の義母が急死したことであり、義母は私と不仲な義父の間に、うまく入って仲裁してくれることが多かったのです。

義母亡き後、あのまま元夫と暮らしていれば、義父の介護などは私の仕事になっていたことでしょう。

 

不仲な義父の介護をするなど、想像しただけでゾッとしますよ。

あの義父の介護は死んでも御免。

そう考えざるを得ないほど私と義父は不仲だったので、そういう意味では離婚して大正解です。

 

結婚・離婚以外で、春分の日前後の思い出といえば、やはり卒業や入学でしょうか。

 

特に大学の入学式と卒業式は、今思い出しても感慨深いものがあります。

 

高校を卒業し、志望していた北海道大学に合格を決め入学式を迎える頃、それまでの高校生までの、謂わば子ども時代を終え、大人の世界に大きな一歩を踏み出す思いに満ち満ちていたことを、昨日のことのように思い返します。

 

そして卒業式は、学生時代に別れを告げ、社会の一員として歩き出す日。

そんな思いで学び舎を後にしましたが、それからは私にとっては苦難が多かったです。

 

学生時代、若い頃、私は自分の自閉症スペクトラム障害に気付いておらず、診断もされていなかったせいか、大学を卒業して就職した会社に馴染めませんでした。

なぜ馴染めないのか、理由はわかりませんでしたが、今はわかります。

 

私には生まれながらの障害、自閉症スペクトラム障害があった。

その障害があるために、周囲の人と認知のずれがあり、普通の仕事がこなせなかったということでしょう。

 

そのことが直接の原因ではありませんが、私は就職した会社を何ヶ月かで退職しています。

 

その後はフリーターをしたり、元夫が結婚しようと手を差し伸べてくれるまで、若い頃の私は迷走を続けていました。

 

最近になってやっと正しく障害が診断され、今こそ人生のスタートラインに立った気持ちでいっぱいです。

これからが、私の本当の人生です。

 

障害が診断された今が私の春への分岐点。

その日を境に昼間の明るい時間が伸びていくように、正に今が私の人生における春分の日なのです。