ワクチンを打たない自由

今日は、今話題のワクチンの話をします。

毎日ニュースを見るとこの話題ですね。

職場単位で接種を進めるであるとか、この話題で巷が賑わっています。

 

しかし、私はワクチンを打つつもりはありません。

過去に薬のアレルギーで入院治療したことがあり、薬には恐怖感があるからです。

安全性が確認されているはずの一般的な薬でアレルギー反応が出て、夜遅くに大学病院に緊急入院したほどの病状でした。

 

その時、私についた診断は「スティーブンス・ジョンソン症候群」でした。

一般的にはあまり馴染みのない病名でしょうか?

私も診断されるまで知りませんでした。

スティーブンス・ジョンソン症候群は、後遺症が残るかもしれない重病です。

私は大学病院に3週間入院し、完治しましたが苦しかったです。

 

私がスティーブンス・ジョンソン症候群に罹った原因は、当時、精神疾患を治療するために処方されていた薬でした。

もちろん安全性は確認されている薬です。

そのような薬でも、アレルギー反応が出て重病になるのですから、賛否両論あるワクチンを打つ訳にはいきません。

死んだらどうしてくれるんですか?

とんでもないことですよ。

お断りします。

 

ところで、なぜ今回のブログでワクチンの話をしようかと考えたかについてですが、私がネット上で活動しているTwitterで、ある発言を見つけたからです。

 

このブログでも何度も書いているように、私はTHE ALFEEを敬愛しています。

THE ALFEEのファンのことを「アル中」と言いますが、あるアル中さんの投稿を見つけました。

 

ALFEEのライブに無事に参加したいから、ワクチンを打とうと決心したという投稿でした。

発言は自由ですし、私にワクチンを打たない自由があるように、その方にはワクチンを打つ自由があります。

それ自体は全く問題ではありません。

 

問題はこういうことです。

ライブに参加してもしなくても、他の日常的なことで不利益を被りたくないので、ワクチンを打たなくてはという趣旨のリプライが何件かあったことです。

 

日常的に不利益を被りたくないから、ワクチンを打つ。

私ははっきり言うと、それは違うと思います。

ワクチンを打たないことで不利益を被るような枠組みの方が、よっぽど問題ですよ。

 

物事は何事もそうですが、受け入れる自由と受け入れない自由、双方を等しく認めなければなりません。

ワクチンを打つ、一択で一方通行的に流れてはなりません。

 

ワクチンを打つ自由が認められるならば、同じようにワクチンを打たない自由も認められなければなりません。

 

私のように薬剤のアレルギーで死にかけた者にとっては、未知のワクチンを強要されることは、恐怖どころではなく、死の危険に直面することです。

全力でお断りします。

 

何気なく見かけたTwitterの投稿でしたが、私も一人の「アル中」です。

同じアル中の同志の中から、ワクチンをめぐる気になる発言があったので、黙ってはいられませんでした。

 

ただ、発言は自由ですしワクチンを打つのも自由です。

しかし、私のような人間に対する強要や差別があってはなりません。

 

物事は何でもそうですが、右に振れれば必ず左に振れるように、双方通行でなければなりません。

一方通行的に全員が同じ方向に向かって突っ走ることは、危険極まりないことです。

 

同じような主義主張の者ばかりで栄えていると、一気に崩れるリスクがあるのではないでしょうか。

 

ワクチンを打つ自由と打たない自由、双方が尊重されるべきですね。

 

何事もそうですが、物事はどちらかが優勢になり過ぎれば必ず破綻します。