インフォームド・コンセント

今日は歯医者さんに行ってきました。

前回のブログで書いたように、生活保護の受給が始まるまでは本当にお金がなくて、行くのを躊躇っていましたが、保護の受給が決まり心配なく通院を再開しました。

 

その歯医者さんには数年前から通っています。

一度治療が終わっても、時間が経つとまた新しく虫歯ができるので、その度に通っています。

なかなか評判のいい歯医者さんで、予約は混み合っています。

 

評判がいいのには理由があります。

説明をしっかりしてくれますし、治療法について患者の同意もきちんと取ってくれます。

もちろん、歯医者さんとして要求される技術も素晴らしいです。

歯医者さんは細かい技術を要求されますから、腕がいいことも大切ですよね。

 

私が今、治療を受けている歯は、何かとギリギリまで追い込まれています。

生活保護の受給が決まるまで治療を後回しにしていたせいか、虫歯が進行し、抜かずに残すことが難しいようでした。

 

それでも、歯科医師の先生は「抜きたくないですよね」と私の意見を聞いてくれて、歯を残す治療をしてくれたのです。

本当に歯を残せなければ、そうはいかなかったのかも知れませんが、それでも一言私の意見を聞いてくれて歯を残そうと懸命に治療してくれたので、その先生のことは信頼できますね。

 

歯医者さんでのことですが、これもインフォームド・コンセントと言えないでしょうか。

歯を抜くか抜かないかで、その後の生活は変わってきます。

以前、その歯科医師の先生に教えて頂いたことですが、抜いてしまう歯の場所や位置によっては、若くても入れ歯になる場合もあり得るということでした。

 

入れ歯になるかならないかは、重要な問題であり、歯を抜く・抜かないも切実な問題です。

歯を抜くか、抜かないかの決定はインフォームド・コンセントの範疇に入ると思います。

 

インフォームド・コンセントは、癌の治療などが連想しやすいでしょうか。

私も未だに子宮頸がんの手術後、経過観察をしています。

癌の治療自体は順調ですが、子宮を全摘した後、残った部分が高度異形成という状態になっていて、再発に移行するリスクを抱え経過観察をしています。

 

一時は思い切って治療をしようかという話も出たのですが、まだ踏み切ってはいません。

その理由は、治療するほど悪性ではなく、まだ経過を観察すれば十分だということですが、治療をしようかという話が出た時は担当医の先生から十分な説明がありました。

 

入院しての治療が一つの選択肢でしたが、私の意思で治療するとしても通院で行いたいという意見を聞いて頂けました。

何事もそうですが、自分の意思は相手にきちんと伝えなければなりません。

インフォームド・コンセントの基本は、自分の意思です。

 

こう思うのにも理由があります。

私の父が癌で命を落としているからです。

 

自分の治療法について、父は自分の意見を一切表しませんでした。

何故かはわかりませんが、娘としてずっと傍にいたからわかるような気もします。

 

父は何事も諦める人でした。

若い頃から苦労が絶えず、自分の意見を言うことは無駄なことだという持論も持っていました。

 

私はそうはなりたくないのです。

自分の意見を言っても聞いてもらえないから、諦めてだんまりを決め込もうという考え方は承服できません。

治療方針の話に限らず、人生を考える時に自分の意見を持たず、与えられたものを受け入れるだけの生き方はしたくありません。

 

ですから、今日のように歯医者さんでの治療でも、自分の意見ははっきり言います。

経過観察中の癌の治療についてもそうです。

 

インフォームド・コンセントは、私なりに拡大解釈すれば、医学的な治療の話だけではなく生き方、死に方についても当てはまるものだと言えます。

 

長い物に巻かれるだけではつまらないではありませんか。

そういう物をぶった切って進むことに、人生の醍醐味があるのです。