昨日は、敬愛するTHE ALFEEの中止になった夏のイベントについて書きましたが、今日は癌の話をします。
タイトルの”胃がんと大腸がん”ですが、テレビでグルメ番組を放送していたので思いついたのです。
食べることは人間にとって何よりも喜びです。
この喜びを封印されて死ぬ恐怖を想像したことがありますか?
タイトルにした”胃がんと大腸がん”。
私の父が大腸がんに罹り、母は胃がんに罹りました。
母は幸い早期発見で治療したので今は元気にしていますが、父は進行した状態で見つかり数年で死んでしまいました。
父の姿を見ていて思ったのは、消化器系の癌に罹り、食べる喜びを封印されて死ぬ苦しみは筆舌に尽くしがたいということです。
父は最後には水も飲めなくなりました。
食道楽で酒好きだった父が飲むこと、食べることを封じられて死んでいったことは、例えようのない恐怖でしたね。
食道楽で最後まで回復に希望をかけていた父でしたが、私自身は摂食障害で拒食の治療を受けています。
食べたくても食べられなくなった父と、食べることを自らの意思で拒絶した私。
なんとも皮肉なことです。
私が拒食になったのには理由があります。
私が生まれ育った家庭は金銭的に苦しい貧しい家庭でした。
それを埋め合わせるためでしょうか、食事に関しては大量に料理を作り、たくさん食べることが美徳とされていました。
貧しさを食べることで埋め合わせようとしていたのです。
しかし、私はこう考えました。
食べることでは貧しさの埋め合わせはできない、食べることでは何も解決しないと。
食べることを美徳とし消化器系の癌に罹った両親と、食べることを拒絶し摂食障害になった私。
この世界は皮肉に満ち溢れているのです。
父は進行した状態で大腸がんが見つかり、治療の甲斐なく死にましたが、母は早期の胃がんで治療して未だ生存しています。
私は消化器系の癌の恐怖が身に染みているので、毎年のがん検診は欠かしません。
今は摂食障害が落ち着いていて、楽しく美味しく食べられています。
摂食障害が落ち着き、食べられる喜びがわかるが故に消化器系の癌の恐怖は切実です。
両親ともに消化器系の癌に罹り、自身は摂食障害で拒食に陥った。
皮肉なことですが、何かの巡り合わせのようなものも感じます。
私は消化器系の癌で死んではならないということかも知れません。
ですから、私は毎年の検診を欠かしません。
胃がんは当日の朝食を抜けばよいですが、大腸がんは準備が大変です。
大量の下剤を飲んでトイレに行きっぱなしですし、2、3日前から消化の良いものを食べるといった工夫が必要です。
それでも私は検診を受けますね。
父の姿を見ていたら、大腸がんの恐ろしさの方が深刻です。
反面教師でしょうか、父が私に見せた最後の教えが癌の恐怖であり、早期発見に努めるようにというメッセージだったのかも知れません。
私は子宮頸がんに罹ったことがあり、今も経過観察中です。
それでも食べる楽しみに影響はないですし、飲むこと、食べることを封印されて死んだ父の苦しみに比べれば、辛いうちには入りません。
胃がんや大腸がんはまだまだ日本人に多い癌です。
何が恐ろしいかと言うと、私の父のように飲んだり食べたりすることを封じられて死ぬことです。
食べることは人間の最高の楽しみです。
それを拒絶して摂食障害に罹った私は自身の経験に照らし合わせ、食べることを封印されて死んでいった父の姿を見て、食べられなくなる恐ろしさには懲りています。
食べることは当たり前のことなのですが、人間は皆、必ず病気に罹ります。
人間が病気に罹る確率は100%なのです。
ですから、身近な癌である胃がんと大腸がんに関しては早期発見、早期治療に努めたいものですね。