本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「裸の王子様」という短編を書いています。
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~ここから本編~
今年のお盆は一人で父のお墓参りに行くことにしました。
去年までは母と行っていたのですが、今年は母とは絶縁状態になっているので一人で行きます。
母と絶縁状態になったのは、今年に入ってから判明した私の障害を理解せず、理解してこなかったことを反省もしていないからです。
父に対してお墓参りするのも、父個人というよりは墓所全体にお参りしたいので行くことにしました。
父がお世話になっているのは札幌でもかなり大きい墓所で、周りの方のお墓や墓所を守っているシンボルの仏さまにご挨拶したいのでお参りに行ってきます。
他の地域の事情には疎いのですが、北海道、特に札幌のような都市部では家のしがらみから解放された自由なお墓が多いです。
父が眠るお墓も、緑大木家のお墓というよりは(緑大木は仮名です)私たち4人のファミリーで独立して設けたお墓です。
父が眠るお墓は父の死後に建てました。
父は結婚する時に母方の姓を名乗っていますし、父方の実家は父が死んだ時には既に消滅していたのです。
私は父方の先祖のお墓があるかどうかも知りませんし、母方の実家も遠方ですから、父が死んだ時点で緑大木ファミリーのお墓を新しく建てる以外の選択肢はありませんでした。
ですから、父の後にそのお墓に入るのは母だけでしょう。
弟は結婚して独立していますから、また独立してお墓を建てるのだと思います。
北海道はしがらみが少ない土地柄ですから、弟のお嫁様が父と一緒に緑大木家のお墓に入るとはまず考えられませんし、それは気の毒ですから私としてもやめて頂きたいのです。
では、私自身は死んだらどうしたいかというと、お墓は必要ないですね。
最低限、焼いてもらえればいいです。
そうなると現実的には、遺骨を永代供養で納骨堂などに入れてもらうか、合祀墓に埋葬してもらうことになるのでしょう。
ただ、それもどうしてもということではなく、どちらかと言うとどうでもいいのです。
私は死後の自分に興味はありません。葬儀も必要ないですね。
葬儀などは行って欲しくないですし、お墓も必要ないと考えています。
では、父はどうだったかというと、病死だったので自分のことを考える時間はたくさんあったはずです。
しかし、父は自分の死後、どうして欲しいか一切口にしませんでした。
なぜかと考えると、自分の希望を口にすることが憚られたからなのだと思います。
生前の父は甲斐性なしで、家族に多大な迷惑をかけていました。
自分では気づいていませんでしたが、おそらく発達障害で私にも自閉症スペクトラム障害という障害があります。
私の自閉症スペクトラム障害は父からの遺伝ですね。
父は自分のことにも気づいていませんでしたが、無意識の感覚で私に対しても申し訳ないと思っていたのでしょう。
他にも父は早くに自分の父親を亡くしたり、進学したかった大学にも合格できなかったりと若い頃から不遇でした。
そして、失意のうちに死んでしまいました。
こういう人のお墓をお参りして、罰は当たりませんよね。
それに、父がお世話になっている墓所はかなり広く、周りのお墓の方や墓所を守る立派な仏様にご挨拶することは大切なことです。
どちらかと言うと、このご挨拶をするために墓所を訪ねるといったところでしょうか。
普段はお墓は気にも留めない存在かも知れませんが、いつかは必ず行くところなんですよね。
生まれてくることはある程度コントロールできても、一度生まれれば死なない人間はいません。
お墓は誰もが最後にたどり着く安らぎの場所なのです。