本編の前にご案内です。
この「とまとの呟き」の姉妹版で小説を書いています。
タイトルは『アンドロイドの楽園』といいます。
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よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
人間は死んだらどこに行くのでしょうか。
向こうの世界に行って帰ってきた人はいないので、わかりませんよね。
私の父は20年以上前に病死しました。
その父は今でもよく向こうの世界から降りてきます。
ホラー的なオカルトのような話ではないのですが、父が向こうの世界から降りてくると私には感じ取れるのです。
背後にいるのを感じますね。
本当ですよ。
自分の父なので感じ取れるのでしょうね。
死後20年以上が経ってもなお私のところに来るのは何故かはわかりません。
どうやら、弟や母のところには降りて行っていないようです。
それでも、私のところに来るということは、向こうの世界に行っても父は父のままなのでしょうね。
父は生まれ変わって別の存在にはなっていないようですね。
降りてきて私の背後にいるのは、確かに父です。
生まれ変わっていないということは、父は解脱したのでしょうか。
私は大学でインド哲学という学問を学びましたが、インド哲学においては輪廻転生、生まれ変わるということは解脱の前の状態、生と死を繰り返す輪の中に留まっているということです。
ですから、生まれ変わっていないということは転生の輪を抜けて、解脱したということになります。
父はその境地にまで到達したのでしょうか。
そして神か仏に願い出て、こちらの世界に降りてくる方法を身につけたのでしょうか。
私はまだ死んでいませんし、前世の記憶も残っていませんから、どうやったら死後にこちらの世界に来ることができるのかも知りません。
不思議でわからないことばかりですが、父が時々向こうの世界から降りてきて私の背後にいるのは確かに感じ取れるのです。
この世界がそうであるように、死後にある向こうの世界も理屈ではない何かが支配しているのでしょう。
不思議なことといえば、父が死んでからすぐの頃から私の手書きの文字の筆跡が父の筆跡と同じになり、今もそうなのです。
文字は正に心を表すものですから、父の思いのようなものが籠っているのだと思います。
人間は死んでも思いのようなものが残るんですね。
それにしても私のところに降りてきて、背後をうろうろするのは何故なのでしょう。
成仏していないことはないと思うのですが。
父は反省しているのではないかと思うんですよね。
自身が発達障害でそれを私に遺伝させてしまったことや、生前、私が学生だった頃は大学進学以外は認めないとして、私の選択肢を狭めたことなどを反省しているのだと思います。
それに、少年の頃に自分の父親を亡くして年長の兄弟に育てられた苦労人ですから、一生を通じた思いをどこかに置き忘れているのでしょう。
私も死んだら父のように、こちらの世界とあちらの世界を行き来できる力を持てるのでしょうか。
こちら側もあちら側も、世界は不思議に満ちています。
科学や理屈で割り切れない不思議さこそが、全ての本質なのでしょう。