本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「王様サポーター倶楽部」というタイトルのものを公開中です。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
バナーの文字「とまと文学部」をクリックすると小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします
~ここから本編~
今日も大都会を中心に感染状況が爆発しています。
どうしてこのようなことになってしまったのでしょう。
もう一年半以上、皆で必死にマスクをして歩いているのに、感染者は減ることがありません。
私は今精神疾患の治療を受けたり、子宮頸がんの経過観察で定期的に検査を受けなければならない身です。
このような状況では、経過観察中の癌が再発してもきちんとした治療が受けられないのではないかと不安になります。
このような状況なのでテレビでニュースを見る機会も多いです。
気になるのは”感染対策しています”と、まるで免罪符のように唱えて人が集まる機会を減らそうとしない動きがあることです。
感染対策が万全なら、なぜ今感染が爆発しているのでしょうか。
感染対策、感染対策と呪文のように唱えてもその効果はあるのか、懐疑的にならざるを得ません。
”感染対策しています”は場合によっては無意味な免罪符であるように感じます。
ですから、思いきって人が集まるような催しを中止にする方が安心しますし、好感が持てます。
ところで、ネットを漂流していると”ロックダウン”も検討してはどうかというニュースも見かけました。
私は大賛成です。
法律上の問題はあるようですが、厳しく対処しなければ事態は改善しません。
厳しい対処が必要です。
先日も父の”格言”「日本人は狂っているんだ」について書きましたが、そうです、日本人の一部は狂っているのです。
無軌道を自由と履き違え、お願いペースでは舐めてかかって馬耳東風ではありませんか。
ガツンと厳しい対処が必要だと思います。
ロックダウンも効果がないという意見もあります。
しかし、日本ではまだロックダウンは行われていませんから、やってみなければわからないと思います。
何事もそうですが、やってみてどうなるか。
それで効果がなければ、また考えればよいではありませんか。
話は戻りますが”感染対策しています”は免罪符でしかない部分がありますね。
例えば、何かの催しが開かれるとしましょう。
そこで話をよく聞いてみると、どうやら”感染対策しています”は、その催しの内輪だけの対処だったりします。
内輪だけ催しを成功させればよいのであって、その外側にいる者には関心を持たない。
非常に狭量で身勝手な考え方ですね。
本当の”感染対策しています”は、自分たちの内輪だけのための免罪符として使う言葉ではなく、その外側にいる部外者をも思いやるものでなければなりません。
究極、一番の感染対策は催しを開催しないことですね。
人が集まる以上に、人が移動するから感染が広まるとも言われていますし。
催しが開催されれば、人が移動します。
人が移動すれば、感染が広まります。
マスクをしようが、何をしようが、それだけでは”感染対策しています”とは言えないのではないでしょうか。
マスクをしているだけで感染が収まるなら、もうとっくに感染は下火になっていることでしょう。
こんな状況になっても、まだ他人事で遊び惚ける者ども。
先日書いたように「日本人は狂っているんだ」
私の父ではなくとも、こう言いたくなるのではないでしょうか。
物事の大切さの順番がおかしいですね。
遊びよりも大切なことは何か、見失っている者が少なくないので感染が爆発するのでしょう。
嘆かわしいことです。