本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今日から第二十一話めの公開を始めました。
連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
よく考えたら、私はほぼ毎日一日中だんまりです。
一人暮らしで仕事をしていないので、誰とも話さず無言のことが多いですね。
出かけるのは食べるものを買いにスーパーやコンビニに行くくらいですし、買い物も無言で済ませられますよね。
元来、一人が好きな私は困ることはないですし、寂しいとも思いません。
言葉は声に出して話す以外にも、こうしてブログを書いたりと文章を書くことでも使います。
毎日のようにブログを書いていますから、これが私にとっての言葉を発するということですね。
文章を書いて入れば大満足です。
文章を書くことが私にとって言葉を発するということです。
誰かがどこかで読んでくれると思えば、人との繋がりは十分に感じられます。
こうして一日中黙っているのは、外国によく旅行していた頃もそうでした。
英語が通じれば困りませんが、それでも母国語ではないので日本語ほどスラスラ出てきません。
そうなると、異国で朝から晩まで無言になりますが、何も困ったことはないですね。
寧ろ、自分の世界に集中できますから気楽です。
求めるのは気楽さですね。
日本国内にいようと外国にいようと、気楽に過ごせるのが一番です。
無言もまた良き哉ですね。
世の中では人との輪を貴ぶあまりに、コミュニケーション能力が高いことが評価されがちです。
”コミュ障”という表現が自虐的に使われることもありますよね。
しかし、コミュ障だって良いではありませんか。
私には自閉症スペクトラム障害という障害があります。
この障害があると人とのコミュニケーションがうまくできなかったりします。
私の場合はコミュニケーションは寧ろ得意ですから、なんとかバランスが取れているんですよね。
とは言え、コミュニケーション能力にあまり障害が出ていなくても、どちらかと言えば一人が好きです。
いつでも、どこでも、一人が好き。
もしかしたら、私も”コミュ障”なのかも知れません。
それでも、気楽に自分らしく暮らせていますから、無理して人の輪に入ろうとは思いません。
こうして文章を書くことで、読み手の方々と繋がっていられれば十分ですね。