本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今日から第二十二話めを公開し始めました。
連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
ネットを漂流していたら、こんなニュースを見かけました。
来年にも”こども庁”の創設を目指して、必要な法案の提出が計画されているそうです。
うーん、こども庁って何でしょう?
何をするところでしょう?
ずっと続いている少子化を食い止め、子供を産み育てやすい社会を目指すものでしょうか?
さて、役所を一つ増やして子供は増えるのでしょうか?
私はそんな簡単な問題ではないと思います。
子育てにお金がかかるからということが原因のように言われています。
確かにそうでしょうが、それだけが問題ではないですよね。
私は社会の不寛容さに原因があるのではないかと考えています。
教育にお金がかかり過ぎるのもそうですね。
受験戦争を勝ち抜けなければ幸せになれないかのような風潮があり、そこで小さい頃から塾に通い、お金がかかる。
人生の選択肢が限られ過ぎているのです。
大人になってからもそうですが、いろんな人生を選べるような、そんな寛容な社会でなければ子供は増えないと思います。
結婚への入り口が狭いことも子供が増えない理由ではないでしょうか。
システムが古すぎます。
こうでなければならない、ああでなければならない。
いつの間にか結婚は小さくて固くて、入り口が狭いものになっているのではないでしょうか。
今の若者には狭い枠に押し込められると感じてしまうものになっていないでしょうか。
あれは駄目、これも駄目。
今の社会の不寛容さが、人口を減らしているのではないかと思います。
結婚、出産、子育てが狭くて固くて古い枠の中にあるものなら、若者には魅力がないのでしょう。
狭くて固くて古い枠組みに人間を押し込めている社会では希望が見えてきません。
こうでなければならない、ああでなければならない。
このような不寛容な社会に希望が見えるでしょうか?
今の若い層の死亡原因の上位に自殺があるそうですが、それは若者の瑞々しさを枯らす不寛容さが蔓延っているからですよね。
こども庁よりも”寛容庁”でも作ったら良いのではないでしょうか。
ありとあらゆる不寛容さを寛容さに変え、柔軟で広々とした社会を作りたいですね。
夢や希望が増えれば子供は増えるのではないでしょうか。
不寛容さは夢も希望も削ぎます。
これから結婚したい若い世代はそのことをわかっているのかも知れません。
若者に夢がない社会に未来はありません。
こうして、高齢者ばかりが増え活力のない社会になっていくのでしょう。
頭の固い者が瑞々しさを奪う。
頭の固さとは不寛容さです。
頭を柔らかくして狭い枠は押し広げていかなければなりません。