心の狭さが身を滅ぼす

本編の前にお知らせです。

「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。

新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。

今は第二十八話めを公開中です。

連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。

話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。

下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。

よろしくお願いします。

tomatoma-tomato77.hatenablog.jp

~ここから本編~

私はネットを漂流するのが好きです。

各種掲示板やTwitterなど鵜呑みにはしませんが、世の中の意見を知るうえで参考程度にはしています。

 

気になることがあるんですよね。

それは多くの人々の心の狭さです。

 

あれは駄目、これは駄目、それも駄目。

困っている人や少数派に冷たい人が多いですよね。

 

よく読んでみると、自分がやりたくないことは人様にもさせたくないとか、困っている人、少数派は最初からいないものにしておこうとか。

そういう物言いが目立ちます。

 

こういう狭量な人って、リアルな世界で普段はどんな顔をして生活しているんでしょうか?

職場で尤もらしい顔をして”いつもお世話になっております”とか、取引先にペコペコしているんでしょうか?

 

ネット上では匿名だからか、ある意味、本音が出ますよね。

他者に対する思いやりの欠如、想像力の欠如、自分と違う立場の者はいなくてもよいという心の狭さが表れています。

 

人間はいつ、どんな風に自分の立場が脅かされるかわからない存在です。

それがわかっていれば、自分と異なる者にもう少し配慮できると思うんですよね。

 

死んだ父が私が物心ついた頃からこう言っていました。

日本人は狂っているのだと。

それは、もう50年以上も前のことです。

 

父が言いたかったのは、こうことですね。

目先のことに囚われ、これは駄目、あれも駄目、〇◎はいけない、◆▽しか認めない。

こういう狭量さが社会を殺伐としたものにすると。

 

そうです。

狭量さは社会を殺伐としたものにするのです。

50年以上前から、何も進歩がないんですよね。

 

狭量さの反対は寛容さ。

自分と異なるものを認め、互いが互いを尊重し合う。

これが欠けているので、この社会は殺伐としているのではないでしょうか。

 

人間は本来、枠など気にせず自由な存在であるはずです。

それが、いつの間にか小さくて固くて古ぼけた枠に閉じ込められるようになってしまいました。

互いが互いを枠の中に押し込めているのです。

 

◇◎もいいね、■△もいいね。

心を広く持ちそんな風に言い合えることが、住みよい社会を作る最初の一歩ではないでしょうか。

 

なんだかギスギスしているんですよね。

衣食足りて礼節を知るのではないでしょうか?

これでは、衣食足りて礼節を知らずですよ。

 

あれは駄目、これは駄目、それも駄目。

こういう心の狭さが一番駄目ですね。

 

物事は何事も繋がっています。

心の狭い者は回り回って、自分も追いやられます。

 

他者との分かち合いや譲り合い、共感と寛容さが今の社会には必要ですね。

共感と寛容さが大切です。