本編の前にご案内です。
この「とまとの呟き」の姉妹版で小説を書いています。
タイトルは『アンドロイドの楽園』といいます。
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tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
今日は昨日の話の続きをします。
昨日は母校・札幌南高校の卒業式の話をしました。
私が卒業した日も、昨日のような春のぼたん雪が降っていました。
いちばん仲が良かった友達、両親と私で卒業式が終わった後、校門で写真を撮ったことが思い出されます。
札幌南高校はいろいろな意味で北海道ナンバーワンの高校です。
自由な校風で制服がなく私服通学ですし、国公立、私大ともに多くの進学実績があります。
高偏差値な高校を卒業し有名大学に進む。
エリート集団ですね。
札幌南に入学できた時点で、ある程度は将来が保障されるとも言えるでしょう。
しかし、私はその波に乗り損ねて生きてきました。
私は札幌南高校を卒業後、現役で北海道大学に合格できました。
そこまでは、まあまあ良かったのですが。
私はエリートの波に乗り損ねてしまいました。
大学卒業後は一般企業に就職しましたが、9ヶ月で退社、結婚するまではフリーターをしていました。
好きな英語の勉強がしたくて会社員を辞めたんですよね。
なぜ、そういう決断をしたのか、50代になってからやっとわかってきました。
私には自閉症スペクトラム障害という障害があって、そのために判断力や理解力が欠如しているようです。
これは、今お世話になっている精神科の主治医にも判定されたことです。
学力は高く頭は良いけれども、どこか欠落したところがある。
そう診断されましたね。
言われてみればその通りです。
私は学生の頃から風変わりでした。
それが生まれながらの障害によるものだったと気づかないまま大人になってしまっただけのことです。
生まれながらの障害のために、エリートの波に乗り損ねてしまった。
このことについては、自分の障害を嘆いたり、憤慨したりはしていません。
エリートの波に乗れたところで、人生の本質は何も変わらないと思うんですよね。
良い高校、良い大学、良い会社、好条件の結婚相手、社会的な地位。
みんな、これらを欲しがるんですよね。
しかし、これらに恵まれても、人生の本質は何も変わりません。
人生は苦の連続である。
これは私が大学で学んだインド哲学、仏教の教えです。
学歴が高ければ高いで、良い会社に勤めれば勤めたで、条件のいい結婚相手に出会えれば出会えたで、それでも何かに苦しむのはみんな同じではないでしょうか。
身近なところでは、私は自分の弟を見ていてそう思うんですよね。
弟は私と同じ学歴で優良な有名企業に勤めています。
しかし、結婚生活に悩み、子育てに悩み、仕事に悩み、最近では高齢になった母の施設入所について悩まされています。
一見、羨ましがられるような学歴で立派な仕事をしていても、人生は苦の連続なんですよね。
私は自分の障害が診断されてから己を正しく知り、無理のない生き方を始めました。
エリートだった私は本当の自分ではありません。
今のように障害と向き合い、無理のない生活をするようになって「苦」が減ってきたように感じます。
エリートの波に乗り損ねた方が幸せになれました。