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写真はイメージです。
今日は父の日なんですよね。
そこで、父の話をします。
父はずいぶん前に病死しました。
見つかった時には手遅れに近いがんで、数年の療養の後に死にました。
はっきり言うと、父は生きていてはならない人だったと思うので、早死にして大正解ですね。
何が問題かと言うと、父は悪人ではないのですが非常に問題がある人間でした。
診断はされていませんが、父は発達障害だったと思うんですよね。
人の話を聞かない、自分の考えに執着する、コミュニケーションがきちんと取れない。
父は生きていれば80代の半ば。
病死しなくても、そろそろ寿命で死ぬ頃ですね。
この年代の人は、発達障害があっても診断されることはない世代ですね。
しかし、娘としてずっと傍にいたからわかります。
あの人は発達障害です。
しかも、重度ですね。
このような感じですから、私は両親との関係が非常に悪いです。
母はまだ生きて(いやがる)いるのですが、完全に無視ですね。
母も発達障害なんですよ。
しかし、母の場合、障害があるという以上に人間として問題があります。
障害があるからでは済まされませんね。
そのくらい、母はひどい人間です。
こんなバカ女を選んだ父。
問題は大ありですね。
だから、もう一度言いましょう。
父は早くに死んで大正解です。
こんな父に対して、当然ですが父の日だからどうのこうのということはありませんでした。
一般的には父の日はネクタイなどを贈るのですか?
ネクタイ、そんなものは贈ったことはありません。
何故か。
それは、父はネクタイを締めて会社に行くような仕事はしていなかったからです。
父は肉体労働をしていました。
そんな父でも大学を目指したこともあったようですが、一浪しても合格することはできませんでしたね。
父は自分が不遇なのは学歴がないからだと思い込んでいたようですが、それは違いますね。
重度の発達障害で、基本的なコミュニケーションが取れない。
人が丸に見えるものが四角に見える。
そういうギャップがあるから駄目なんですよ。
とにかく、問題だらけの人でしたから早く死んだ方が本人のためだったと思うんですよね。
父にとっての最後の父の日は、最後の入院中でした。
父は夏に死にましたが、父の日、6月の時点で試せる治療法もなくなり、緩和ケアしかない状態でした。
最後の父の日くらいは何かプレゼントしたような気がしますが、もう忘れましたね。
私の父はろくでなしです。
最後の最後に、早く死ねてよかったね。
そういう言葉しか見つかりませんね。
父に願うことがあるとすれば、同じようにろくでなしの母を早く迎えに来て欲しいですね。
母もろくでなしですから、あんな人の介護なんかはしません。
人としてどうかと思いますから、これ以上関わりたくありません。
それでも、母は80代半ばを過ぎても死ぬこともできず苦しんでいます。
ざまあ見なさいとしか思わないですね。
父には責任を取ってもらいたいのです。
父がバカ女を選んだことで、私たち一家はろくでもない運命を辿ることになったのですから。
今日は父の日。
父に責任を問う。
そんな一日ですね。