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写真はイメージです。
お盆真っ只中です。
お盆といえば、お墓参りですね。
私は去年、一人でお墓参りに行きました。
一昨年までは母と行っていたのですが、母とは絶縁したのでもう一緒に行くことはないでしょう。
お盆はご先祖さまがこちらの世界に帰ってくると言われています。
それで、お墓参りをしてお迎えするんですね。
でも、お墓というものはそもそも何のためにあるのでしょう?
故人を悼みお祀りするためなのでしょうが、つまり、こちらの世界で生きている人間のためにあるようなものなのではないでしょうか。
私たちが生きている世界は、形あるものの世界です。
この世に生きているうちは何か形になっていないと、人間って不安になるんですよね。
お墓に来れば故人に会えたような気になれます。
そのためにお墓があるのではないでしょうか。
それでも、死んだ時だけ仏教という人は多いですよね。
以前もこのブログで書きましたが、大学生の頃に宗教学の講義を選択していて、その授業中に先生がこう仰ったのです。
日本では結婚する時はキリスト教の教会で式を挙げ、初詣は神社に行き、死んだら仏教で成仏する。
なんだかユニークですよね、皆さん、そう思いませんか?
これは、なかなかパンチが効いた意見ですね。
そうなんです。
ごちゃ混ぜですね。
日本人の宗教観は節操がないと先生は仰っていました。
面白すぎる意見ですね。
この先生のご意見、ご尤もですね。
そう考えると、葬儀は仏教で挙げ、戒名をつけてもらい、●〇家の墓と刻まれた墓に眠る。
これは何のためにやっているのか、よくわからなくなりそうですね。
ですから、私は死んでも葬儀は必要ないですし、お墓もいらないですね。
散骨とかがいいですね。
私は離婚して一人、子供もいないのでお墓に入っても誰もお参りには来ません。
父が死んだ時に建てた実家のお墓には入りたくないですし。
今生の両親とは死後は二度と会いたくないんですよね。
一緒のお墓に入るなんて、とんでもないですよ。
お墓って今を生きる人間のためにあるものではないでしょうか。
そこに刻まれた名前があるので、それを目印に時々お参りをする。
ただ、それだけのことですね。
上述したように、日本人の宗教観も曖昧なものです。
お墓は宗教というより慣習のようなものではないでしょうか。
お墓に行けなくても故人を時々でも思い出してあげればいいと思うんですよね。