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昨日はブログの更新をお休みしました。
母方の実家があった北海道の地方の町に行ってきたのです。
母方の実家、なくなっていましたね。
北海道の昆布の名産地ですが、町全体が鄙びた雰囲気に包まれています。
昔はJRが通っていましたが、今はバスのみです。
線路の跡だけが残っていましたね。
こんな感じです。
ちょうど踏切があった場所ですね。
踏切の遮断機はなくなっていて、人や車は自由に通れるようになっていました。
この踏切の近くに神社があったのでお参りしたのですが、いろんな意味で強烈でした。
お参りしたのですが、神様にご挨拶するための鈴がなく、扉があってその向こうにお賽銭箱がありました。
お賽銭箱が扉の向こうにあるので、扉が開かないかと思って開けようとしたのですが、鍵がかかっていましたね。
つまり普段はほとんどお参りに来る人もいないのでしょう。
それでも、お賽銭を下に置いて手を合わせるだけのことはしてきました。
この神社、幼い頃に母方の実家に遊びに行き、夏のある日にそばを歩いていたら夕立に遭ったことがあるんですよね。
その夕立が止むまで軒下で雨宿りしていたことがありました。
その頃から神社は何も変わってなく、何か安らぎのようなものを感じました。
母方の実家があった町は北海道のド田舎、小さな小さな漁師町です。
昆布の名産地で、夏になると毎年のように遊びに行っていました。
父と母は地元の人たちに混じって昆布漁を手伝っていましたね。
祖父が漁師だったのですが、祖父が作業する小屋が浜にありました。
今はどうなっているのか、見に行ってみると写真のような状態でしたね。
確かこの辺りか、もう少し西側だったでしょうか。
他の漁師さんの小屋もいくつか建っていたはずですが、なくなっていましたね。
今は昔ほど漁は盛んではないのかも知れません。
祖父の作業小屋、昆布漁の合間、お昼ごはんの時間になると一家で作業を休み、その小屋でお昼をみんなで食べたものです。
漁師町ですからお昼ごはんも豪勢な海の幸が並びました。
みんな、舌鼓を打っていましたが幼い頃の私は海の幸が苦手でした。
そこで、菓子パンを買ってもらってそれを食べていたものです。
昆布漁が盛んだった夏、懐かしいですね。
札幌から高速バスで片道3時間以上。
本当に何もない町ですが、そこには私の幼い頃の思い出がいっぱい詰まっています。
大人たちが昆布漁をしている間、従兄弟たちや近所の子供と真っ黒になるまで日焼けしながら浜で遊んだり、漁が終わり家に帰ると近所の川で遊んだり。
祖母が昆布漁以外にも畑を持っていたので、祖母について山奥の畑に行ったり。
熊が出るような場所でしたが、昔って大らかですから祖母も普通に連れて行ってくれました。
祖父母、伯父、伯母も亡くなり、従兄弟たちも独立して町を離れています。
残っているのは思い出だけになってしまいましたが、母方の実家ということは、私のDNAの半分は小さな漁師町のDNAなんですよね。
3、4時間の短い滞在でしたが、今度はたっぷり時間を取って行ってみたいですね。
最後に夕日と海の様子を写真に撮ってきました。
薄曇りなのがちょっと残念ですが、この町の一番の見どころは海です。
海は今も昔も変わることなく、私を迎えてくれたんですよね。