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写真はイメージです。
昔、私が子供の頃の話です。
小学校に行くようになると、たまに朝の会で担任の先生が大真面目にアンケートを取ることがありました。
それは、一日に何時間くらいテレビを見るかという質問や、ごはんを食べながらテレビを見るかどうかという質問をクラスの児童たちに問うものでした。
当時は長時間テレビを見ると、教育に悪い、子供の成長に悪い、集中力がなくなる、といったように問題視されていたのです。
特に問題視されていたのは、ごはんを食べながらテレビを見ることでした。
私の家庭でも一時期、ごはんを食べる時はテレビを消すようにと親から言われていましたね。
ごはんを食べながらテレビを見ると、集中力が落ちるとか勉強にも良くない影響があると言われていたのです。
今では笑い話のような話ですが、私が小学生の頃は大真面目にこういう話が信じられていたんですよね。
つまり、大人たちは何かを敵にして子供を躾けたいのでしょうか。
私が小学生の頃の学校の先生、或いは両親は今では80代後半、90歳ちかい人だったりします。
この世代は子供の頃からテレビを見て育った世代ではありません。
得体の知れない何かを人間は恐れますから、一種の信仰のようなものでテレビを悪と見なしたがっていたのかも知れません。
この問題、現代ならゲームやスマホなんでしょうね。
大人は自分たちが子供時代を過ごした時代になかったものを恐れるのかも知れません。
さて、最近の私はごはんを食べながらTwitterを見てスマホをポチポチしています。
こういう行動は私が小学生の頃に大人だった人から見れば行儀が悪いことなのでしょう。
しかもテレビもつけっ放しにしています。
テレビ、スマホを眺めながらごはんを食べる。
さあ、大変です。
頭が悪くなってしまいます。
いいえ、そんなことはありません。
時代は変わるのです。
スマホはテレビよりも自分だけの情報を選び取ることができます。
ごはんを食べながら必要な情報を選んでいるのです。
情報を取捨選択することは大事ですね。
テレビで頭が悪くなるとすれば、情報を取捨選択できず流れてくるものを鵜呑みにするからではないでしょうか。
問題はそこです。
テレビであろうが、スマホであろうが、自分に必要な情報を選び取ることができればいいんですよね。
私の両親や学校の先生の世代は、情報の波に飲み込まれることを想定していません。
そのような洪水のような量の情報に触れていた世代ではないですよね。
ですから、情報垂れ流しに見えるテレビは悪者。
もっと個人的なものになったスマホも悪者。
何かを悪者にすれば、大人は楽なんですよね。
仮想の敵を作って子供を縛る。
いつの時代もつまらない大人とはそういうものなのでしょう。
今日も私はごはんを食べながらテレビをつけっ放し、スマホを片手にTwitterの情報の海を漂流します。
子供に教えることがあるとすれば、情報を自分の頭で考えることですよね。
何が真実で何が偽りなのか。
情報の洪水の中で溺れない大人になることが大切なのです。