晴耕雨読

本編の前にご案内です。

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tomatoma-tomato77.hatenablog.

今日の札幌は朝からずっと雨です。

今も降り続いています。

日課の散歩もできませんでした。

そこで、私の趣味でもある、コメダ珈琲店に久しぶりに行ってきました。

ソフトクリームも食べたかったので、写真のようにクリームコーヒーを注文してゆっくりしてきました。

 

天気予報では明日も天気は悪いようです。

二日続けて散歩は休みでしょうか。

身が腐りそうです。

 

そうは言っても仕方がないですね。

こういう時は”晴耕雨読”の元になった話、晴れた日は外で畑を耕して働き、雨の日は家の中で本を読む。

このように暮らすしかないです。

 

これだけ科学が発達しても、お天気のことは空任せです。

これだけ正確な予報ができるようになっても、人間は天気の変化をコントロールすることはできません。

私も日課の散歩ができなくてつまらないですが、お空の機嫌に合わせるしかないですね。

 

正に秋雨ですね。

一雨ごとに北海道は冬に向かいます。

 

夏が終わりそうな頃、私は寂しくて堪らなかったのですが、慣れるものですね。

今はこれからやって来る冬が楽しみになってきました。

冬は最も北海道らしい季節です。

子供の頃は雪が積もって雪遊びができるのが楽しかったですし。

 

このように、しみじみと物思いに耽ることができるのは、雨でじっとしていなければならないからですね。

天気がいい日は外側に目が向きますから、自分の内側を見落としがちです。

季節が冬に向かい、天気が悪くてじっとしなければならない時、じっと立ち止まらなければならない時ほど、内側を見つめる時間ができます。

そう考えると雨の日もいいものですね。

 

雨が降ると植物には恵みの雨です。

植物が根から水分を吸い上げるように、人間も内側から何かを充足させるチャンスですね。

 

それに、雨の日はセンチメンタルな気分になります。

古文における「もののあわれ」ですね。

古文は大事です。

 

昨今、古文や漢文を学ぶくらいなら、コンピューターのプログラミングを学ぶべき、古文や漢文はいらないという意見がありますが、果たしてそうでしょうか。

コンピューターのプログラミングは職業訓練としては必要なのでしょうが、情操教育、人間としての情緒を育てるためには必要なものだと私は考えています。

そうでなければ、人間がロボットのようになってしまうと危惧しています。

 

雨の日は古文や漢文のようなものですね。

一見、なければよいものと思われがちですが逆です。

実はなくてはならないものなんですよね。