りんご

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tomatoma-tomato77.hatenablog.

ここ2、3日の間、毎日りんごを食べています。

私は元々、日々の食事で必ず果物を食べるようにしています。

果物が好きですし、体にも良いですよね。

 

2、3日前からりんごを買い、自分で皮を剥いて食べています。

その前はカットフルーツを買っていたのですが、値段がやや高いのです。

そこで節約のため皮付きの果物を買い、自分で皮を剥いて食べることにしました。

 

私が毎日行くスーパーではりんごが安いですね。

2、3個まとめて買ってみました。

 

私の家には調理道具がありません。

鍋がありません。

コンロもありません。

あるのは、小さな携帯用のまな板と果物ナイフだけです。

しかし、これだけあれば、りんごの皮を剥いて食べられるので不自由していません。

 

りんごの皮を剥いて食べるのはものすごく久しぶりです。

自分で果物の皮を剥くなんて、いつからしていないのでしょう。

そのくらい、私は自炊というものをしていません。

 

自分で皮を剥いたりんご、美味しいですね。

妙に美味しいです。

りんごで思い出しました。

死んだ父がりんごが好きでした。

 

父はずいぶん昔にがんで死にました。

健康で元気だった頃から父はりんごが好きでした。

がんの末期で最後に入院した時も、父はりんごを食べていました。

最後の最後、水も飲めないくらいになった頃、父は母が摩り下ろしたりんごを口にしていました。

 

ふと考えましたね。

すごく久しぶりに自分で皮を剥いてりんごを食べる私は、父に代わってりんごを食べているのではないかと。

 

父が死んでから気づいたのですが、父は私の背後を離れません。

気配がしたり、私が困った時に乗り切れたり。

父はこの世界から消えましたが、魂のようなものは残っていて私から離れようとしないようです。

 

確かに、父が死んでから私の行動パターンは父に似てきました。

私は父の遺志の実行者となったのです。

りんごを美味しく食べているのもそれでしょうね。

 

父は、人生100年の時代においては早くに死んでしまいました。

思い残したこと、やり残したことがあったに違いありません。

私から離れないのも、私を遺志の実行者にして何かを成し遂げようとしているのだと思います。

 

人の思いって死んでからも残るものですよね。

その象徴が今、私が食べているりんごです。

 

私はこれから父の遺志で何を成し遂げるのでしょう。

なんとなくですが、わかっています。

父があまりにも私から離れないので、自身が自身でないように感じる時もありますね。

 

物語であればホラーな設定ですが、自分の父ですから恐いとは思いませんね。

父の遺志を継いでいこうと考えています。