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写真はイメージです。
私はワイドショーが好きです。
いつも、ごはんを食べる時はたいていワイドショーを見ています。
手っ取り早く世の中のことがわかりますよね。
今日見ていたワイドショーで、少子化の話題を取り上げていました。
いろいろな原因はありますが、あるコメンテーターの方がこんなことを言っていました。
同性婚や選択的夫婦別姓など、家族のあり方、結婚のスタイルを多様なものにしなければ、そもそも結婚する人は増えず、よって生まれてくる子供の数が増えないのだと。
私はその意見には大賛成ですね。
私自身は離婚していますが、結婚していた時は事実婚で夫婦別姓でした。
結婚してすぐの頃は、マイホームを建てるローンの申し込みのために婚姻届けを出し、私が夫の姓を名乗っていましたがやっぱりしっくりこなかったんですよね。
そこで結婚して数年でいわゆるペーパー離婚をして事実婚に移行しました。
夫婦別姓こそが私たちの真の結婚スタイル。
私たち夫婦はそう考えていたので、事実婚に移行して初めて写真だけの結婚式も挙げました。
こういう若い人、増えましたね。
私が結婚したのはもう30年近く前のことです。
夫婦別姓くらいは認める。
そのくらいの寛容さがないから、日本はどん詰まりになっているのです。
寛容さ、これがキーワードですね。
結婚の入口を広げて、その門をくぐりたいと思う人を増やさなければなりません。
なぜ結婚したくない人が増え、よって生まれる子供の数が減っているのか。
上述したように結婚に魅力を感じない人が増えたからですね。
私は個人的には私の親世代の失敗も原因だと考えています。
私の両親は1930年代に生まれた世代で、高度経済成長が青春の頃の年代ですね。
この世代の人って、何でもかんでも右へ倣えで、心より物、金の価値観ではないでしょうか。
それに、特に女の子にはお嫁に出す、よその家にもらわれて行くということを前提に躾ける傾向がありますね。
私が中学生の頃の話です。
ある日、母がこう言いました。
「とまとは、どこの家に嫁に出しても恥ずかしくない!」
母はドヤ顔でこんなことを言っていましたね。
どこに嫁に出しても恥ずかしくないとは、母の言う通りに私が手伝いをして家事を完璧にこなせるようになっていたという意味です。
とんでもないことです。
私は家政婦になるために結婚するのではありません。
こんなことを言われて、私は結婚に魅力を感じられなくなりました。
物のようにやり取りされ、家政婦みたいな扱いに甘んじる。
これのどこに魅力があるでしょうか。
こんな感じで性別での役割を固定する、女性が男性の”家”に気に入られるよう努める、女性は家と家の間でもらったり、もらわれる存在である。
結婚に全く魅力を感じられなくなったまま私は成長しました。
私の両親世代は子、孫の世代に古い価値観を押しつけていないでしょうか。
それが、今の世の中に表れていると思います。
その後、成長して私は元夫と出会うことができました。
私の話に耳を傾け、共感してくれました。
だから結婚できましたね。
このように、飽くまでも私個人の経験、考えですが、今の若い人が結婚したがらなくなったのは、結婚に魅力がない、様々な生き方に対する不寛容さにあるのではないでしょうか。
その結果、生まれる子供の数が減っているのです。
不寛容、これが日本を悪くしています。