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写真はイメージです。
昨日、更新した内容は私が大学生の頃に家出をしていたという話でした。
今日はその続きのような話です。
タイトルにもあるように、理想の娘づくりの話ですね。
昨日の話でも書いていますが、私が大学生の時に家出したのは些細なことで母と喧嘩したからなのですが、それ以前に私は狭い枠を押しつけられて育ってきて窮屈でした。
昔の人間、私の両親のような1930年代の生まれの人間って性別による役割分担の意識が強いですよね。
私の母もそうです。
母はそろそろ死んでいてもおかしくない年齢です。
はっきり言うとウザいですね。
早く消えてもらわないと社会の損失です。
家事が完璧にできなくてはならない。
そういう強迫観念のような、世間さまを気にし過ぎるような、過剰な締め付けに囲まれて私は育ちました。
例えば、私が中学生になると家の中の掃除を全て終わらせなければ登校させないとか。
これって虐待ですよね。
父はそうでもなかったのですが、母が酷かったですね。
上述のような掃除の話だけではなく、料理、洗濯など私だけが手伝うことを強制されていました。
弟には何も言わないのにです。
それに昨日も書きましたが、母はドヤ顔で言っていましたね。
「とまとは、どこに嫁に出しても恥ずかしくない」
つまり、私は”将来の嫁ぎ先”の家政婦のような、歪な期待しかされていなかったのです。
全くナンセンスな価値観ですね。
結婚は女性が男性に合わせるもの、女性は嫁ぎ先の”家”に気に入られるようでなければならない、家事は女性がするもの。
こういう環境、窮屈ですよね。
だから私は家出したのです。
親の描く理想の娘になることを求められる。
家出したくなりますよね。
こんなことを言われて育って、私は結婚にも子育てにも希望を持つことができませんでした。
こういう話をして理解し、ありのままの私で良い。
そう言ってくれたので、元夫とは結婚できましたね。
でも、どうしても子供を持つことは嫌でした。
理想の娘という枠を押しつけられたこともありますが、そもそも私が生まれ育った家庭は機能していなかったのです。
家庭というものは私にとっては魅力がありませんでした。
ですから元夫とは家族というより、カップルという考えで結婚しました。
私の両親世代ってなぜこうなのでしょう。
自分の頭で考えず、世間さまの声が大事で右へ倣え。
こういう世代に育てられて、結婚も子育ても魅力を感じられなくなっている人って多いですよね。
だから、今の日本は子供が減り、高齢者ばかりが増え、衰退に向かっているのです。