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tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
写真はイメージです。
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結構多いのが「普通でない自分は惨め」とか「普通になりたい」とか「普通の生活がしたい」と嘆いている人ですね。
しかし普通とは何でしょう?
嘆いている人が言っていることを見るとこういうことのようです。
良い学校を出て、就職して、恋愛して、結婚して、子供を持ち、一戸建てを建てる。
これが”普通”で、そうでない者は惨めな負け犬なのだそうです。
果たしてそうでしょうか?
私は全くそうだと思いません。
逆に、良い学校を出たのでなく、アルバイト生活で、恋愛せず、結婚せず、子供を持たず、ずっと賃貸で暮らす。
これはこれで普通でよいと私は考えています。
実際、私の実家は公営住宅、いわゆる団地です。
立派な賃貸ですね。
”普通”に囚われた価値観では”底辺”と言うみたいですね。
私はそういうことは気にしませんが。
皆さん、隣の人の様子を気にし過ぎです。
隣の人と違う自分を気にし過ぎです。
自分は自分、隣は隣でいいじゃないですか。
これは日本の教育が良くないと思いますね。
理不尽な校則に盲従し、皆と同じが求められる。
私が”普通”を気にしないのは、やはり教育の結果だと考えています。
私は札幌南高校という高校の卒業生ですが、私が入学した当時、在学していた時期は校則らしい校則はありませんでした。
なぜか、バイクでの登校禁止という決まりはありましたが、服装は私服通学の高校ですし髪の色も規定はありませんでした。
校風は自主自律です。
こういう校風で尚且つ、札幌南は北海道最強の進学校です。
こういう高校に通っていましたし、中学生の時は勉強が好きで勉強に夢中でした。
ですから私はおかしな管理教育に染まることなく大人になったのです。
そういうこともあってか”普通”を求めて、それにあてはまらない自分を卑下し、周りと同じでない自分を負け犬のように捉える考え方には非常に抵抗があります。
普通じゃなくてもいいではありませんか。
良い学校、良い会社、素敵な恋人や配偶者、高い年収、最終的には一戸建て。
これに執着して、これこそが至高、そういう風に考えるからその枠からはみ出す自分が惨めに思えてしまうのではないでしょうか。
上述のように私は北海道最強の進学校を卒業し、名のある大学に進みましたが、生来の障害があるので今は福祉のお世話になり仕事はせずひっそり暮らしています。
離婚して一人ですし、自分の子供はいません。
一戸建ては元夫と建てましたが、離婚した時に捨ててきました。
しかし私は幸せだと感じながら暮らしています。
人と比べる必要はありません。
自分で自分を幸せだと思えるのは、人と比べず、普通という鎖に縛られていないからですね。
他人様のことはどうでも良いのです。