私はネット上を漂流し、いろいろな意見を見るのが好きです。
そこで必ずあるのが、多数派と少数派、双方による衝突です。
これは、意見の交換という真っ当なものではなく、しばしば、多数派による少数派への中傷、罵倒が含まれ正に衝突と言って良いものである場合があります。
では、私は多数派なのか少数派なのか?
私は圧倒的に少数派です。
例えば、昭和30年代に結婚した両親は、父が改姓し母方の姓を名乗っていました。
ですから、私の姓も母方の姓です。
昭和30年代に父の側が改姓するとは、かなりの少数派でしょう。
母の実家が名家であるとか、何か商売をしていたとか、そういう事情ではなく、母の年代には珍しく兄弟が少なかったので父が改姓したと聞いています。
母方の姓を名乗っている私自身は、夫婦別姓でいるために事実婚をしていました。
元夫と別れて暮らすことになった時のことを、私は人様に対して”離婚した”と言っています。
事実婚でも二人の気持ちと生活の実態は、法律婚と何ら変わるものではなく、別れて暮らすことになった時は共に暮らす意思がなくなったのであり、一般的な離婚と等しかったのです。
このように出自からして少数派の私は、ネット上の論争を見ていても少数派に共感することが多いです。
気になることと言えば、最初に述べたように多数派による少数派への中傷や罵倒があることですね。
これは大変よろしくないことです。
多数派の言い分を見ていると、既存の枠に入れない者を中傷したり、或いは多数派に属する者がやりたくないことを、少数派にやらせないという意図的な悪意すら見えてきます。
他人様が何をしようが良いではありませんか。
自分がやりたくないことは、相手にもやらせない。
それは良くないですね。
少数派が望むことをしたところで、多数派は何か困ることがあるのでしょうか?
おそらく、そうではなく単に変化を嫌い、人間を小さな枠の中に閉じ込めておこうという、狭量な我儘でしかありません。
小さな枠に収まり変化を恐れていては、その集団は必ず衰退します。
現にそういう集団はありませんか?
そこに暮らす者、生産的な活動に従事できる者が減少している、おとぎの国はありませんか?
ありますよね。
このおとぎの国は、なぜ衰退に向かうのでしょう。
小さくまとまり、変わることを恐れ、過去にだけしがみつき、目先の利益に目が眩み、等々、おとぎの国が沈む理由はいくつもあります。
それでも多数派に属する者は、おとぎの国を救う意志がないのか、現実が見えていないのか。
この難局を目の前にしても、少数派を追いやることに余念がないようです。
多数派だけでまとまれば、一気に崩れた時、より多くの者が滅んでしまいます。
少数派も含めて多様性を広く認めなければ、おとぎの国が沈むことは避けられないでしょう。
少数派として生まれ、生きてきた私はこのことを危惧しています。
どこにあるかもわからない、おとぎの国のことだから、どうでもよいということはありません。
何よりも、私自身が少数派として生まれ少数派として生きてきたので、少数派を認めないことで沈む集団があってはなりません。
何事もそうですが、一方の者がもう一方の者を追いやることは、あってはなりません。
多数派か少数派か、そんな差異はちっぽけなことです。
どちらかがどちらかを中傷したり、罵倒することはあってはなりません。
互いが互いを尊重し合うしか、おとぎの国が生き延びる道はありません。