最近は不眠傾向です。
明け方になってから横になり、お昼過ぎまでゴロゴロしていることが多くなりました。
通っている病院から眠る前の薬は処方されているのですが、あまり効いてないのでしょうか。
眠ることは人間の根源的な欲求ですが、なんだかそれに背いているようです。
そして、眠ること以外の根源的な欲求には食べることと子孫を残すことがあります。
眠る、食べる、子孫を残す。
この三大欲求ですが、私はいずれも不具合が出ています。
眠ることについては不眠傾向ですし、食べることについては摂食障害で拒食になったことがありました。
子孫を残す欲求については、自分の子供はいませんし、あまり興味がありません。
拒食になってしまったのも、食べるという基本的な欲求に背きたかったのかも知れません。
私は何者なのでしょう。
人間も生物ですから、眠る、食べる、子孫を残すという三大欲求には本能的に従いそうなものですが、私は何れにも逆らって生きています。
私は三大欲求に背く進化形なのかも知れません。
思えば、私の父と母は真面目さと善良さの塊のような人間でした。
特に父は、家族とは何かと鬱陶しいことを常日頃から口にしていました。
おそらく発達障害を抱えていた父は、仕事が長続きしない甲斐性なしでした。
それだけでも十分、家族に迷惑をかけておいて”家族とは何か、家族は素晴らしい”と言っていたことは荒唐無稽ですらあります。
そんな父の若い頃の夢は、結婚して子供を持つことであり、大いに矛盾しています。
幸せにできないなら家族を持つべきではありません。
その父と母に真面目さや善良さはひたすら尊いと聞かされて育った私は、真面目さや善良さに嫌気がさし懐疑的です。
人間の本質は邪ではないでしょうか。
本質が邪であるがゆえに、人間は真面目さや善良さを徳のあることとしてきたのでしょう。
私は自分に正直でいたいのです。
両親に押し付けられた真面目さや善良さなんか、クソ食らえですよ。
猿じゃあるまいし、惰眠を貪り腹を膨らませ子作りに励むなんて、卑しいことだと考えてしまいます。
ですから、不眠に陥り拒食になり、自分の子供はいない自分のことは好きですね。
ある意味、進化した人間であると自負したいくらいです。
私のそういう歪みは、やはり真面目さと善良さを押し付けてきた両親の責任でもあります。
三大欲求クソ食らえですよ。
眠らず、食べず、子作りせず。
特に腹を膨らませることは卑しいと思っている自分がいます。
父と母の話に戻りますが、父は仕事が長続きしない甲斐性なしで、私が生まれ育った家庭は貧しかったです。
とにかくお金がなかったのですが、それを埋め合わせるために母は食べ切れないほどの料理を作っていました。
食べることで貧乏を埋め合わせしようとしていたのです。
しかし、私はそれは違うと思いますし、幼い頃からそう思っていたのでしょう。
食べること、腹を膨らませることでは何も解決しない、そう思っていたので摂食障害、拒食になってしまったんですよね。
母は教養がない人間です。
父はおそらく発達障害を抱えていた独善的な人間です。
この二人に真面目さと善良さを押し付けられても、説得力がないですね。
真面目さと善良さには胡散臭ささえ感じます。
人間の本質は邪ではありませんか。
動物的な三大欲求、眠る、食べる、子孫を残す。
私はそのどれにも興味がないのかも知れません。
それは生まれついての個性でしょうし。育ってきた環境によるものでしょう。
眠らず、食べず、子供を作らず。
そういう自分は好きですね。
欲望に溺れない、進化した人間のあるべき姿だと誇りを持っているのです。