本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「海の向こうの大阿呆」というタイトルのものを公開中です。
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~ここから本編~
さあ、迫ってきました。
今夜、20時からALFEEのオールナイトニッポンPremiumが放送されます。
楽しみですね。
札幌に住んでいる私はラジオを聞くためのアプリの設定が必要ですが、準備は整いました。
ALFEEってラジオの出演が多いですよね。
ラジオにこそALFEEの原点があるのです。
今は誰もがネットで情報を得られる時代になりましたが、ALFEEがブレイクするかしないかの頃はラジオが情報源でした。
ALFEEは今もその原点を大事にしているんでしょうね。
私の一番のお気に入りのラジオ番組は、1984年に放送されていたALFEEのオールナイトニッポンです。
当時は学生だった私は深夜に勉強しながら聞いていたものです。
ALFEEと勉強。
私にとって、これは切っても切れないもの同士です。
私は大学でインド哲学という学問を学んでいました。
インド哲学が扱う領域の中に、ウパニシャッド哲学というものがあります。
まだまだ学生で若かった私は「ALFEEはウパニシャッド哲学だ」という仮説を勝手に立てていました。
ウパニシャッド哲学とはこのようなものです。
漢字で書くと「梵我一如」です。
「梵」とは宇宙、この世界の根本原理で絶対的な存在です。
「我」とは字の通り人間のことです。
この「梵」と「我」は離れているようで一つの存在であるとするのが、ウパニシャッド哲学が言わんとするところです。
つまり、遠く離れた絶対的な存在、根本的に尊い存在と小さな人間は一つに重なる。
これがウパニシャッド哲学の基本です。
私はこう考えたのです。
自分にとって絶対的なALFEEという存在と私自身は離れることがない絆で結ばれていると。
このような論理で、ALFEEはウパニシャッド哲学だという仮説を立てていました。
今思えば、何のこっちゃです。
しかし、学生で若かった私は大真面目にそう考えていました。
とは言え、あながち意味不明な仮説ではないですよね。
多くのアル中さんは様々な形でALFEEとの絆を感じているはずです。
1984年に放送されていたALFEEのオールナイトニッポンでは、下ネタも多かったですね。
大笑いして勉強の手が止まったりしていましたよ。
私は学校でもアル中を公言していましたから、放送が終わって明けた日、学校に行くと「昨夜のラジオ聞いた?!」と話題でした。
歌番組にALFEEが出演した翌日もそんな感じでしたね。
今はラジオやテレビだけではなくネットが全盛の時代になりましたが、ラジオという原点を大切にし続けるALFEEからは離れてはなりません。
ネット全盛だからといって流行りに乗るだけのものは、なんだか信用ができません。
物事の価値は流行り廃りに左右されない、ブレない姿勢で決まるのです。
流行り廃りに右往左往しない。
だからALFEEは疾走を続けているのです。