母との関係は最悪です

本編の前にお知らせです。

「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。

新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。

今は第十二話を公開しています。

連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。

話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。

下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。

よろしくお願いします。

tomatoma-tomato77.hatenablog.jp

~ここから本編~

秋が深まってきました。

北海道はそろそろ雪が降ってきそうです。

 

秋と言えば、私の母は9月生まれですが、今年は何のお祝いもしませんでした。

母とは絶縁状態です。

 

きっかけは今年に入ってすぐの頃、私に自閉症スペクトラム障害があると診断されたことですね。

母は私の障害に理解がなく、理解してこなかったことを反省していません。

これだけでもう、疎遠になりますよね。

 

障害があって大変だろうとか、今ままで理解してこなくて申し訳ない。

そう思うのが普通ではないでしょうか。

 

母は頭が悪いです。

何と言うか、物事に対して思考がありません。

 

こういう人って困りますよね。

私がなぜ怒っているのかも根本的に理解していませんから、こちらも関わりたくなくなります。

ネット的に言うと、脳内お花畑ですね。

 

母は昔からそういう人間でした。

 

私が最初に精神の問題に気付いたのは小学校の四年生の頃のことです。

離人症になりましたね。

 

離人症というのも、私自身が大人になりいろいろと調べられるようになって、自分で気付いたことです。

母は離人症という言葉すら知らないでしょうね。

 

まだ小学校の四年生でしたから、当時は私自身も精神の問題として受け止めることができず、体調を崩していました。

一種の登校拒否になりましたね。

熱が出たりして、登校時間が近付くとベッドに潜り込んでいました。

母には学校をずる休み、怠けているとしか映らなかったようで、ベッドから引き摺り出されていました。

 

その後も私は心の不調が多く、中学一年生の頃には摂食障害を発症し、体重が30kg台になりましたが、それでも母は理解がなかったですね。

 

母は心を大切にするという価値観に欠ける人間です。

料理上手なのはいいのですが、やたら量をたくさん作り、食べることはいいことだという考えの人です。

心の隙間を食べ物で埋め合わせる。

こういう価値観ですね。

 

私はこれに猛反発しました。

以前も書きましたが、お腹いっぱいクソ食らえです。

お腹いっぱいになっても、それだけでは心の隙間は埋まりません。

お腹がいっぱいになりさえすれば幸せ。

この間違った価値観に反発したから、私は摂食障害になったんですよね。

 

このような心の動きに理解がなく、我が身を省みて思考しない。

こういう人間は最低ですね。

 

という訳で、母とは絶縁状態にあります。

 

母はもう86歳。

そろそろ介護施設に入ろうかという話も出ています。

 

どうぞ、ご自由に。

私は母の介護をするつもりは全くありません。

面倒をみるなんて真っ平御免です。

 

これだけ私が怒っても、母はなぜ私が怒っているのか理解していないのでしょうね。

こういう人は生きているだけで周りの人間が不幸になります。

ある意味、早く消えていってもらわないと若者に迷惑です。

 

私は高齢者の延命や過度な福祉には懐疑的です。

高齢だからという、それだけで手厚い福祉を無条件に受けられるのは如何なものかと考えています。

 

たまにですが、こちらから母に連絡してみようかとも思いますが、釈然としません。

こちらから連絡でもすれば。母は問題は解決したと勘違いすることでしょう。

それは釈然としませんね。

 

高齢者福祉って何でしょう?

社会的にも高齢者が増え、問題は山積です。

 

そろそろ見直す時が来ているのかも知れませんね。