父の会社、どこ行った?

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写真はイメージです。

 

私の日課は散歩です。

まだメンタルの不調がひどかった時からの日課です。

メンタルの問題を抱えている人ならわかるように、メンタルが絶不調だと動くことすらできません。

そんな時から、私は主治医の勧めもあって散歩をするようにしてきました。

今では一日の目標を10000歩に設定できるくらい歩けるようになりました。

 

散歩は毎日コースを変えています。

同じ道を歩くのは飽きるんですよね。

 

今日は父が生前勤めていた会社を探してみました。

地下鉄の駅から歩いて20~30分くらいのところにその会社はあったはずです。

 

しかし、その会社があるはずの場所には全く違うお宅の家が建っていました。

普通の民間のお宅でしたね。

父が勤めていた会社、どこに行ったのでしょう?

 

その場でスマホで調べてみました。

会社のホームページはありましたし、住所も変わっていませんでした。

しかし、その住所には全く違うお宅の家が建っているのです。

 

父が勤めていた会社、どうなったのでしょう?

移転したのか?

廃業したのか?

倒産したのか?

 

移転したのなら、ホームページに更新しているはずです。

やはり、倒産、廃業など、何らか事情で会社は存続していないのではないか?

私はそう考えました。

 

父は甲斐性なしで、職を転々としていた時期もありました。

私が今日探した会社は、父が最後に勤めていた会社なのです。

父は自分では零細企業だと言っていましたね。

確かに、大きくて有名な会社ではないです。

 

父はその会社に10年ほど勤めていました。

終身雇用がまだまだ一般的だった父の年代で、10年ほどしか勤めていないのは少数派ですよね。

父はがんの手術をして障害が残り、仕事を続けられないと判断するまでその会社にお世話になっていました。

葬儀の時も同僚だった方々がいらっしゃってくれましたね。

 

父にとっては愛着があり、かなりいい年齢になってから採用してくれたので恩義を感じる会社でもあったことでしょう。

その会社も今はどこでどうなっているのか、わからなくなってしまいました。

 

中途採用とはいえ、中年を過ぎてから雇ってもらったこともあり、父は真面目に働いていました。

その大切な会社がどこに行ったのかわからなくなってしまいました。

 

人の世って儚いですね。

あれだけ元気に働いていた父は既に亡く、懸命に働いていた会社もどこに行ったのでしょう。

今、この時はいつか必ず過去になり消えてゆくのです。