宗教みたいなもの

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イラストはイメージです。

 

今日は「宗教みたいなもの」の話です。

ありますよね。

例えば特定のミュージシャンのファンでその世界観にどっぷり浸かっているとか、自分が信じたいものってありますよね。

 

私はこのブログ以外ではX(Twitter)で活動しています。

いろんな人がいろんなものを信じています。

政治に対する思想信条などもそうですよね。

それらを元にどんな社会が望ましいか、Twitterで議論されていたり。

 

宗教みたいなもの。

こう言うからには教義があります。

音楽なら歌の歌詞などですね。

 

しかし大きなお世話ですが、あら?これって宗教みたいなものの教義に反しているのでは?と思うこともあります。

音楽などの解釈は十人いれば十通り、百人いれば百通りありますが、ちょっとずれてる人っていますよね。

 

例えば反逆を歌うロックのファンでありながら、今の政治に迎合していたりとかです。

私は政治には現状維持より改革を求めているので、与党寄りの考えには懐疑的です。

ですから、反抗的なロックのファンを自称していながら現状に迎合するのは不思議な感じを受けますね。

宗教みたいにロックを支持していながら、それとは相反する政治的な思考を持つ。

不思議でたまりません。

 

こういう人って、ロックもファッションなのかなあとも思います。

ファッションロックですね。

ファッションロックファンです。

ロックではないですね。

だから、宗教みたいなものなのです。

 

そもそも日本では宗教と言うより、宗教みたいなものと言った方がしっくりくるような気がします。

 

私が大学生の時の宗教学の先生がこんなことを仰っていました。

「日本では初詣は神道、神社に行き、結婚式は教会で挙げ、死んだら僧侶を呼んでお経をあげてもらう。なんだか可笑しいと思いませんか?」

この時、講義が行われていた講堂は爆笑に包まれました。

 

そうなんですよね。

各宗教のちゃんぽんになっちゃっていますよね。

日本はこういう風土なので、宗教に寛容といって良いのか?そもそもわかっていないのか?

私は今でもこの先生が仰っていたことを忘れることができません、

ユニークで的を得た言葉で、日本人の本質が表われていると思っています。

 

このような背景があるので、宗教みたいなものを信じている人も多いのでしょう。

信じているのか、それとも信じているということを信じようとしているだけなのか?

宗教に寛容ともいえますが、節操がないともいえますね。

 

突っ張ったロックを愛すると言いながら、政治には迎合的。

こういう不思議な信者が誕生するのです。

 

日本はやっぱり平和ですね。

宗教みたいなものに夢を見ながら暖かい部屋で美味しいものを食べ、ふかふかの布団に寝そべってスマホをポチポチ。

そんな風景を見る時、私はいつも宗教学の先生の言葉を思い出すのです。