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tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
写真はイメージです。
私はあまりテレビを見ません。
少しニュースを見るくらいか、お気に入りの深夜番組を録画して見るくらいです。
ごはんを食べる時によくニュースを見るのですが、気になったニュースがありました。
50年ほど前に爆破事件に関わった疑いで逃亡し続けていた人物が、体調悪化で入院、自分の正体を明かしたものの結局病死したというニュースですね。
このニュースは私がこのブログ以外で活動しているX(Twitter)でも話題になっていました。
50年も逃亡。
それだけでも驚いてしまいます。
結局、指名手配犯は病死。
ニュースによれば、最期は本名で迎えたくて正体を明かしたと伝えられています。
私は人間の儚さを感じましたね。
どんな人間も必ず老いて病み、死ぬのです。
この指名手配犯はいわゆる過激派の一員と伝えられていましたが、過激派であろうと、善良な市民であろうと、金持ちだろうと、貧しい者であろうと、人間はみんな年老いて病んで死んでいくのです。
私は大学でインド哲学を学びました。
仏教についても教わりました。
仏教はインド哲学の中でも重要な分野です。
その仏教の教えに「生老病死」というものがあります。
これは、生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと、これらは人生において逃れることができない苦悩であるという教えです。
私はこのことを知って、大変感銘を受けました。
私なりにこんな風にも解釈しました。
人生、生まれることと死ぬことの間には、年老いて病み、最期は死ぬことしかない。
生まれたからには、老いて病み死ぬしかないのです。
そういう意味では人間は平等です。
ニュースになった人物は、革命を起こして社会を変えようと思っていたのでしょう。
過激派ってそういうものですよね。
しかし最期は儚く病死。
それ以前に、逃亡して50年、70歳の老人になっていたのです。
人間はこの指名手配犯ではなくても、生きているだけで年をとり、病気になり、必ず死にます。
どんな人間も向かっている先は同じです。
指名手配犯のニュースを見ていてそんなことを考えました。
誰も「生老病死」からは逃れられないのです。