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イラストはイメージです。
今日は午後から大腸内視鏡検診です。
頑張ってきます。
その話は明日にでも書こうと思います。
今日のテーマは”働き者なら偉いのか?”ですね。
私はTwitterでも活動しているのですが、昨日は昔の人は働くことを美徳としていたがそれは果たして正しいのだろうかとツイートしました。
離婚した元夫のお祖母ちゃんの話です。
お見合いの席で、とにかくよく働く娘だと、それがセールスポイントだったという話を聞いたことがありました。
よく働くことが美徳でセールスポイント。
何かずれてると思いませんか?
もう少し違うこと。
人間性が素晴らしいとか、得意なことは何かとか、そういうことは注目されなくていいんでしょうか?
確かに、そのお祖母ちゃんは勤勉だったようですが、晩年は認知症を患い周りの人間のお荷物になっていました。
真面目で、それだけが取り柄の人って、四角四面に考えがちでつまらない年の取り方をする人が多い印象です。
そうなるくらいなら、私は怠け者でいたいです。
私の母も勤勉でした。
今日のイメージイラストにもあるような働き蟻でしたね。
そういう人なので、私のことも学校の成績さえ良ければいいと考えていたのです。
私は中学一年生の時に摂食障害を発症しました。
その時、母は何と言ったか?
”成績が下がらないから心配ないと思っていた”
こんなことを言っていましたよ。
あり得ませんね。
人としてどうかと思うレベルです。
そんな母の取り柄は働き者であること。
不毛ですよね。
働くことも大事ですが、メンタルを患った私に対するサポートもケアもなく、働くことに夢中で挙句の果てには、成績が良いからメンタルの問題にしないというずれた思考。
働くことは絶対的に尊いことではありません。
人ととして大切なことの優先順位がおかしくなるなら、働かなくてもいいですね。
人間は働き蟻ではありません。
大切にすべきは心です。
それができない働き者は、ちっとも偉くなどないのです。